Vol.1 フェムテックの原点、体を知るための「性教育」【「性を語る会」代表 北沢杏子さんインタビュー】

ダイエット情報
”性教育は人権教育”を信念に、1965年から性教育ひとすじに研究と実践を積んできた
北沢杏子さんの性教育の理念を図式化した「性教育の樹」
北沢杏子さんが性教育の授業や講演、シンポジウムなどを行っている「アーニホール」。そのホールの前に掲げられているのが上の写真の「性教育の樹」です。1965年から今日まで、性教育ひとすじに研究と実践を積んできた北沢杏子さんの性教育の理念を図式化したのが、この「性教育の樹」なのです。いまでこそ、フェムテックブームのおかけで月経や性について語ること、また性教育の重要性が見直されてきていますが、北沢先生が性教育を始めたのは1965年のこと。まだ、日本では性も性教育もタブーの時代だったのです。
性教育をはじめるきっかけは、少年院での少女たちとの出会い
テレビドラマや児童演劇の脚本を手掛けるなど、もともとは映像や演劇の制作現場で働いていた北沢さんが、性教育を始めたのは1965年の頃。当時の文部省(現:文部科学省)の婦人教育課長に、思春期の子どもを持つ母親向けの性教育教材の制作を依頼されたことがきっかけでした。そして、時を同じくして法務省から少年院にいる少年少女たちの更生を願う矯正教育教材『光を求めて』の制作、特に少年院入所中の女子の取材を始めたことも性教育実践者として歩む大きな後押しになったといいます。
ドキュメンタリーの制作のために、北沢さんは「でんすけ」という大きな録音機器を抱えて、全国の少年院を幾度となく訪れます。少年院の取材で会う少女たちは、素顔はあどけない、年端もいかない年齢でした。非行に走った少女たちの成育歴は複雑なものが多く、親による虐待・性虐待から家出をしたのち売春、薬物依存と走り、その結果、少年院に送られてきたケースも少なくなかったそうです。
「甘い言葉をかけてくる男たちに妊娠させられ、挙句の果てに中絶…。STD(性感染症)の治療中の

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